辺りは、もう薄暗い。
後ろを振り返れば、焚き火を囲んで談笑する数人の背が見えた。
その光景にふと笑みを浮かべ、話しかけるわけでもなく、ただ、踵を返した。




水面に映る姿。





旅人という立場にいる以上、今日、明日の寝床や食料は確たるものとなっていない。
魔物や刺客の事も考慮し、常に最寄の町や村で宿をとるようにしていたが、今日はどうやら野宿らしい。
それに加え、今日は料理を作る、と言い始めたリフィル。明日の朝を健康のまま迎えられるか怪くなってきた。

リフィルに『薪を集めてきてほしい』と頼まれた───藤林しいなは、一人森の中を歩いている。
魔物に襲われる可能性は皆無という訳ではないが、この危険な旅に着いて来ている以上、多少の戦術は心得ているつもりだ。
コレットやリフィルだけ、となれば話は別だったかもしれないが、今、しいなは"一人"で歩いている。
皆の元を離れる間際、ロイドに『俺も着いていこうか?』と言われたが、やんわりとそれを断った。
それをさせたのは、この辺りの魔物なら自分一人でも大丈夫──というほんの少しばかりの自信。
そして、もうひとつ。


「ああ、ここらでいいか」

誰に言う訳でもなく、しいなはそう言い、立ち止った。
彼女の目線の先には、折れた木々がばらばらと散っている。長さも、丁度よさそうだ。

膝を曲げて、その場にしゃがみこんだ。
自分の場所からとれる範囲の木を、否、後に薪になるものを拾う。
一本、二本、三本───と。
初めは軽々と持っていたが、本数が増えるたびに、当然だが重くなる。
無理して片手に抱え続けていたら、ぴり、と、少しばかり腕に痛みが走った。

「これくらいでいいかねぇ……」

腕の中にある薪をざっと見れば、かなりの量だ。これくらいあれば足りるだろう。
集めていた手を止め両手で抱えれば、不自由にはなるが、多量重さは和らいだ。

「よっと……」

その薪を落とさない様に慎重に立ち上がった。
帰ろうと、ふと後ろを振り返ると、さきほどは雲で隠れていた満月が目に入る。
人の目でもわかる位、速く動く雲。満月はその雲に邪魔される事なく、美しく輝いていた。

「きれい、だねぇ…」

まるで、しいなを惹きつけるかのように輝き続ける。しいなはその満月に、目を奪われた。
美しい。それ以外の感情も、混じって。

感傷に浸っていると、どこかで、微かに水が弾ける音が聞こえた。

────魔物……?

この旅の最中、幾度も魔物に痛い目にあわされたしいなに、最初によぎった考えはそれだった。
できる限りの感覚を研ぎ澄ませ、急襲を待った。
しかし、いくら待てど襲ってくる気配はない。
聞き間違いか。そう思いついたしいなは、再度帰ろうと踵を返した時だった。

────ぴちゃん。

確かに、聞こえた。水の弾ける音が。
音の聞こえたほうを振り返れば、ただ、道を阻むかの様に生い茂る木々があるだけ。
このまま帰ってもよかった。襲う気のない魔物なら、わざわざ相手にする必要もないのだし。
しかし、好奇心のほうが勝ってしまい、しいなは薪を抱え直すと、その木々に入って行った。


その先の光景に、しいなは再度目を奪われた。
さきほどの音源であろう、満月の光によって照らされた湖が、そこにはあった。
水は濁ることなく、薄く透明を保っている。水面に満月が映し出され、柔らかい風が吹く度に、その姿を揺らす。

「へぇ…、こんなとこに湖があったんだねぇ……」

木々に、まるで隠される様に存在する湖。それを見つける事が出来て、少なからず幸運だと思う。
ロマンチック、といっただろうか。ここはその様な雰囲気を醸し出している。
できれば、そう。一人で見るんじゃなくて、───。

「やめたやめた。あたしったら、何考えてるんだろう、まったく……」

その先を考えるのは、自分らしくない。頭を横にふるふると振って、その考えを打ち消した。

「さっきから何ぶつぶつ言ってんだぁ?」
「ひゃぁああ!?」

後ろから、なんの前触れもなくかけられた言葉に、しいなは声をあげた。
その拍子に、持っていた薪は、ぼたぼたと湖に落ちる。
しまった、そう思ったのは、最後の一本がぼちゃん、と落ちた時だった。

「ゼ、ゼロス!」

顔を真っ赤にして、しいなを後ろを振り返った。
案の定、というかわかっていたが、居たのはゼロスだった。
声だけでわかるとは。流石長年の付き合いである。

「いや、ごめん。まさかあの暴力鬼女がこんなビビるとは……」
「ゼロス! うるさいよ!」

叫びたくて、叫んだわけじゃない。
更に顔を赤く染めたしいなが言った。ゼロスは、それをケラケラと笑いながら返す。

「うるさいとはひどいなぁ〜。俺さま、帰りの遅いしいなをわざわざ見に来てあげたんじゃないの〜」
「余計なお世話だよ!」

流石にこの言葉はまずかったか。そう思ったが、もう遅い。
ゼロスは笑いを止め、不服そうな顔で「あっそ」と言った。

「あ、いや……。わ、悪かったよ……。あ、ありがとう、ゼロス」
「えー、なにー? しいなが妙に素直〜」

また笑いだしたゼロスを見て、しいなは謝るんじゃなかった、と少し後悔した。

「それよりしいな〜。薪、落ちたけど?」

ゼロスが湖を見下ろしながら言った。
そうだった。つい失念した事を指摘され、はぁ、としいなは溜息をつく。

「ああ……。まぁいいサ。集め直すよ」
「あ、そう……。俺さまも手伝う?」

ゼロスの気遣いは正直嬉しかった。けれど、それを言葉に出すことはない。

「ははっ。女だからって馬鹿にしないどくれ」

ああ、無理をしている。しいなが無理につくった笑みを、ゼロスはすぐに見抜いた。
けれど、ゼロスは騙されたフリをしてやる。
ここでゼロスがそれを指摘したとして、しいなが素直に頷くはずはない、と。
己の経験がそれを物語った。そして、頷かせる事ができる人物を知っていたから。

「あいよ。薪自体急いでるわけじゃないけど、あんま遅くなんなよ」
「……ああ」

じゃあな、そうゼロスは手をひらひらさせながら言い、背を向ける。
しいなは、小さい声で、また「ああ」と返しながら、何を思う訳でもなく、その背を見送った。




ぼーっと、間の前に広がる光景を眺めていた。
燃える焚き火、揺れざわめくまわりの木々、そして仲間。
ジーニアスとリーガルが、リフィルに対し料理の注意点を何度も述べている姿があった。
言っても無駄なのに。思いもしたが、そうロイドは口にしなかった。

ふと、足りない存在に気がついた。
さきほど、というか大分前に薪を取りに行く、と言って出たしいな。
何も言わずふらりと姿を消したゼロス。
ゼロスはおそらく問題ないが、しいなの事となると、少し心配なのが正直なところ。
本人はあまり、というか彼女の気質上、あまり心配されるのは好きではないらしいが、
ロイドにとっては大事な仲間である。心配するのは当然のことだった。

「なぁ。しいな帰ってきてたか?」

ずっとここにいたロイドが見ていないのだ。恐らく他の仲間達も見ていないだろうが、一応聞いてみる。
案の定、期待する言葉は返ってこない。

「先生、俺ちょっと見てくるよ。ゼロスもいないし」
「あら、そう? でも、早く帰って来て頂戴ね。今日は、私が腕によりをかけて作りますから」

にっこりとほほ笑む姿は、とても優しそうで、信頼できる。
ああ、料理がうまかったら。……よりをかけるって、一体何の?そう思ったが勿論口にはしない。ロイドは心の中で、苦笑した。
隣に居るジーニアスとリーガルの青ざめた顔を見て、とても、明日の健康が不安になった。


ロイドがその場を出てから、しいなが向かったであろう場所まで歩いていた時、
変化が訪れたのは、出てから幾らもたっていない時間だった。
向こうから歩いてくる人影。しいなかとも思ったが、どうやら違うようだ。
肩まで伸びた、髪。暗くて色はわからなかったが、その姿はまさしくゼロス。

「ゼロス!」
「あ、ロイドく〜ん」

こちらから声をかければ、ゼロスも気付いた様で、手を挙げ愛想良く返してくる。
近くにしいなの姿がないところを見れば、どうやら一緒ではないみたいだった。

「こんな時間にどこ行くのよ」

ゼロスが不思議そうな顔でロイドに尋ねる。

「ああ、それなんだけど。しいな、見なかったか?」

ロイドがそう返せば、「ああ」と意味ありげな言葉をゼロスは漏らす。
知っているのか?その言葉にゼロスは頷いた。

「このまままっすぐ行って、木々の割れ目を進んでいけば、湖があんのよ。そこに、ね」
「そうか? なら俺が行かなくてもいいか」

無事であるなら問題ない。ロイドが踵を返そうとしたら、ゼロスがその肩を掴んだ。
何?といった目でロイドがゼロスに訴えかける。

「いや〜…ねぇ。ロイドくん、俺さま、お願いがあんだけど」
「へ? 何?」
「できればこのまましいなの所に行って欲しいんだけど……おっけー?」

少し間をおいて、なんでだ、そう聞く事もなくロイドは、わかったと頷く。
ゼロスにとっては、それはとてもありがたかった。

「さんきゅー、ロイドくん。じゃ、そゆことで」
「え、ああ」

なんだかゼロスに流されている気がしてならないが、「何かあったのか?」と聞く間もなく立ち去るゼロス。
ロイドは一人、首をかしげたが、すぐにその思考を打ち消した。





ぴちゃん。
しいなが手をのばす、それと同時に水面が揺れた。
ひんやりとした冷たい水がしいなの手を包む。
腕を大分水に入れ、落ちた薪を一本、握り、水面から手を戻した。
濡れた腕に握られている一本の薪。それは水が全体にしみ、色を濃くさせている。

「あっちゃー……これじゃ、無理かね……」

水を吸った薪がよく燃えるとも思えない。
薪を拾う前からわかってはいたが、それを目の前にすると脱力する。

「集め直しかぁ……」

少し気が沈んだが、まぁ落とした自分のせいだ。
持っていた、その濡れた薪を近くの茂みに置き、再度拾おうと立ち上がった時。

「しぃーなー?」

─────!!??

また叫びそうになったそれを、必死に堪える。
声は堪えたが、心臓がばくばくと叫びをあげはじめた。
そしてじわじわと体が熱くなるのを感じる。

「あ、いたいた」

しいなが落ち着く間もなく、
がさがさと木々をかきわけ、しいなの目の前に現れたのは、───ロイド。

「ろ、ロイド?」
「おー、ってどうした、しいな?」

顔を赤く染め、目を見開くしいなにロイドは少し戸惑った。

「あ、い、いや、なんでもないんだよ! そ、それより、ロイドはどうしてここに……」
「あー、帰りが遅いなぁ、って思ってさ。見に来たんだけど、まずかったかな?」

口を少しひきつらせてそんな事を言うロイドは、まずかったか、という不安の色が見える。
しいなはその問いをすぐさま否定した。

「そ、そんな事ないよ!」
「そ、そっか」

それから一瞬、沈黙した。
しいなは何故か、すさまじく緊張している様に見える。
やっぱりまずかったのかな、とまた少しロイドは不安になった。

「あ、あのさ」

ロイドの言葉に、うつむいていたしいなが顔をあげた。
予想外な事に、ロイドも少し動揺する。
何故、動揺したのかは、定かではなかったが。

「湖、きれい、だな」
「あ、ああ。…そうだねぇ。心が洗い流される感じがするよ」

しいなにとっては思った事を口にしただけだったが、ロイドにとっては少し意外だったらしい。
ロイドは、驚いた様な顔をみせたあと、にっ、と笑む。

「しいなも、結構女の子、って感じするよな」
「え、ええ!? な、なにを……」

そんな事はない。否定しようとしたけど、何故否定するのかわからなくなった。
自分は、女だ。まぎれもない、事実。なぜそれをわざわざ否定するのだろう。
慌てふためくしいなを見て、ロイドが笑った。決して嫌みの様な笑いではない、笑み。

「しいな。薪、集めて帰ろうぜ。皆心配する」 
「え、あ、ああ。そ、そうだったね」

ぎこちない笑みをしいなはつくると、頷いた。
それから、すぐそこにあった薪をかき集める。
さきほどの様に、腕いっぱいに。

「なぁ、そんな持って重くないのか?」

ロイドは、腕いっぱいに薪を抱えるしいなを見て、眉を潜めた。

「え、だ、大丈夫サ! これくらい!」

鈍感で鈍い、とひどい言われようのロイドにもわかる。
そんな事はない、と。
ロイドは何も言わぬまま、両手で持っていた薪を片手で持つと、半ば強引にしいなの薪を空いた片手で奪う。
突然奪われ、思考が停止していたしいなは、ハッと思考を再始動させた。

「ちょ、ロイド!? 」
「いーから。はやく帰るぞー」

じゃないと置いてくからなぁー、と笑みを浮かべながらロイドが言う。
それでも尚、返してもらおうと喚くしいなに、ロイドがはぁ、と溜息をついた。

「しいなも、たまには甘えてみろよな」

そう言って、見たことないんだもんなぁ、と続けるロイド。
しいなの思考は、また停止した。
目を見開き、ロイドを見つめる。
そんな視線に気付いたのか、ロイドが微笑んだ。

「ずっと、気を張っててもしょうがないと思うぜ。たまにはさ、いいんじゃないか?」

な?と満面の笑みで言う彼に、言う言葉が見つからなかった。
ただ、釣られて自分も笑みを浮かべるだけ。
まるで、何かが抜け落ちたかのように。








自分を一人にさせたのは、ほんの少しばかりの自信と。










二人はそのまま湖をあとにした。
本当に僅かだったが、二人で、話せてよかったと思う。
しいなは、振り返って、揺らめく水面を見た。
そこには、水面を見つめる自分と、背を向けるロイドの姿。
ここに来れて、良かった。そう、しいなは思った。