かちゃり。
少々荒々しく、コーヒーカップが皿へと戻された。
残り少ない中身の水面には、少し困った様な女性の顔が映っている。

「俺は、いけると思うけどな」
「……そう、かしらね」

尚も表情の晴れない女性に、向かいに座る黒髪の男性は苦笑する。

「ほんと、めずらしいよな。どうしたかと思ったけど……、もう一度聞くな。
 ……そんなに? まじで?」
「……ええ、だいぶ、ね」

きっぱりと言う、意志の固いその言葉。
男性──ザックスは苦笑した。
ふだんは言うはずもない、彼女の台詞に。


Andante


到着を知らせる音が鳴ると共に開く扉。
レノはエレベーターに乗り込むと、タークスオフィスのある階を押した。
レノ以外、誰も乗っていないエレベーターの中はやけに静かで。
ふと、腕時計に視線を移した。

「20時……。ちょうど良い位だな、と」

こんな時間に帰ってこれたのも久しぶりだ。
いつもなら0時を過ぎてもおかしくない位なのに。
加えて先日までの長期任務を終えたばかりで、明日も休みをもらっている。
これぞ、絶好の機会をいえよう。

そんな事を脳内で繰り返し考えていれば、エレベーターは目的の階へと達していた。
考えをめぐらしながら降り、そのままオフィスへと向かう。

「戻りました、と」

言いながらオフィスへと足を踏み入れる。そのままぐるりと室内を見渡せば、パラパラとそれなりに人が残っていた。

「ああ。おつかれ」

ツォンが顔をあげてそう言い、すぐに目の前の作業に戻る。
一瞬みえたその表情は、明らかな疲れを表していた。

(やべぇ…。前回の報告書だしてない……)

申し訳なく思いつつも、軽く会釈を返しながら、デスクのほうへと視線をめぐらす。

「おっす。シスネ」

すぐ近くのシスネに声をかける。するとシスネはパソコンのキーを打つ手を止めて、振り返った。

「ん、ああ、レノ。おつかれさま。もうあがり?」
「一応な。シスネは?」
「そ、そうね。もうすぐおわるわ」
「そうか、と」

「なあ」 「ねえ」

まるで打ち合わせしていたかのように、ぴったりと重なった二人の声。

「いや」 「ええと」

どうぞ。と言わんばかりの視線が交差する。レノはほんのり紅くなった顔をそむけると、ぽりぽりと頭をかく。

「あのさ、この後空いてるか?」
「え…、あぁ。あ、あいてるわよ」

シスネもまたシスネで、顔をそむける。
まるでピンク色の雰囲気での、沈黙。

「じゃあ、1階のロビーで待ってる。行きたいとことかあるか?」
「任せる」
「わかった」

後で。そういってレノは自分のデスクの荷物をひっつかむと、オフィスをあとにした。


     ◆


「そうねぇ。最近、ひどいと思うわ」
「だろ? さっきも見たけどさ。あの顔。絶対やばい」

二人が話すのは、神羅ビルからそう、遠くない、バーでの会話。
最近、ツォンの顔が明らかに悪いとシスネが切り出しのがきっかけだった。

「胃薬の使用回数も、明らかに増えていると見たわ」
「ああ。ゴミ箱に薬の紙箱が捨てられてたぞ、と」

そういえば、隈もひどいような気がする。
反神羅対策やら、抗議運動やら、最近ごたごたで、ツォンが駆り出されているのが原因だと思う。
もちろん、どんぱちやってる戦争の戦線ではなく、デスク上の戦争に、だが。

とにかく、報告書を今日中に仕上げよう。という話で決まり、時計を見れば、短針が10と11の間を指していた。

「そろそろ帰るか、と。送るわ」
「そう? ありがとう。お願いするわ」

そういって二人はバーを後にする。お金は自然とレノもちで。

レノの車に二人は乗り込み、そのままシスネの家へ向けて出発する。
さきほどまではツォンの話から始まり、色々な話に花を咲かせていたが、車内での沈黙。
エンジンの音と、外で車が風を切る音が延々と響く。

「ねぇ。レノ」
「ん?」

ふと助手席のシスネに目をむければ、うとうととしたシスネの姿があった。

「眠いのか?」
「んぅ…。そうじゃなくて、ね、レノ」

いつもなら結構ズバズバ言う彼女にしては、もったいぶっている気がする。

「レノって、彼女いたっけ……?」
「…シスネ?」
「ほら、昨日レノのとなりにいた子。あの子彼女なの?」

昨日。長期任務を終えてロビーに行った時、するりと猫のように腕に絡みついてきた女。
別に好きでもなんでもないわけだが、向こうがこっちに惚れているらしくて。
向こうも核心に触れてきたことがなかったので、適当に一緒にいたわけで。

「ばっ、あれは違うぞ、と!」
「じゃぁ、なに……?」

信号で止まり、視線を感じてシスネのほうを向けば、少し潤んだ目でこっちを見上げる彼女。
一言でいって、らしく、ない。

「シスネ? 酔ってんのか?」
「ねぇ、レノ……私…レノのことね…」

答える事もなく、シスネはうつむく。
ふと、レノは肩に小さな重みを感じた。
シスネが瞳を閉じて、頭をレノの肩に預けている。

「まじでビビらせんなよ……」

告白かと思っただろ。それは黙って胸にしまいこむ。
そのまま訪れた静寂のまま、レノは車を走らせた。


     ◆


「シスネ? ……着いたぞ、と」

軽く肩をゆすってみても、どうも起きる様子がない。

「しゃーねーな……」

申し訳ないと思いつつも、シスネのポケットの中から、部屋の鍵をとりだす。
マンションには何度か来た事があるから、場所はわかっている。
そのまま車の扉を開け、シスネをいわゆる、お姫様抱っこをして車から降ろし、エレベーターに乗って、目的の階へとのぼる。
そうしても尚、起きる様子がない。

(疲れてたのかな……)

だとしたら今日、誘わなかった方が良かったのかもしれない。
罪悪感を感じながらシスネの部屋を開けると、電気を付ける。
いつもシスネが纏う、あの甘い香りが、この部屋を覆っていた。

寝室の扉を開けて電気を付ける。
ベッドとそれ以外必要なものが置かれていない部屋に、らしいと苦笑。
ただ、ベッドにはひとつ、小さなぬいぐるみが置かれていて、愛らしく思ってしまう。
シスネをベッドに寝かせて、一息つく。
まさか今日、こんな事になるとは思わなかった。決して期待していたわけではない、決して。

「んん……」

シスネが寝がえりをうった。すると、その寝顔がレノの視界へと否応なく映る。

(っ……)

その顔がどうしても目から離れない。顔が強く熱を帯び始めているというのに、しっかりと視線は彼女をとらえたまま。
さきほど、彼女はなんと言おうとしたのだろう。
俺の事について言いたかったに違いないが、肝心なところが聞けていない。

ただ、もし。
期待をしてもいいのなら。

その寝顔はあまりにあどけなくて。
戦争といっても過言ではないこの戦いに巻き込まれている者とは思えなくて。

どうしても、一人の女性にしか見えなくて。

「シスネにも非があるんだぞ、と」

そんな顔して寝てるのが悪い。
そう、誰も聞いていないだろう言い訳を口にしながら、ベッドに横たわる彼女の唇に、自分のそれを重ねた。







Andante -アンダンテ-



あなたとの関係に、突然の変化なんか求めてない。






(いやー、シスネがレノに惚れるとはなぁ……)
(ザックス! 声が大きい!)

















1周年リクエストのほうにしようとしてたんですが、なんとなく違うので普通に。
Andanteは、音楽記号のことで「ゆっくり歩くくらいの速さで」という意味です。(そうだよね!?

2011/1/9 Sun.